5日間(走行日数5日) 走行距離 263.42km(累計6,448km)+車移動少々
キルギスのタラス手前に町でお世話になったエディックさんに別れを告げ、キルギスタン最後の町タラスを通り、国境を目指す。
カザフスタンでは体調不良で医者にかかるが、その後ウズベキスタン、タシケントに到着した。
タラスの前から。西風の再襲来。カザフスタンに近づくと荒涼とした景色が近づいてくる。
暑い時間にチャイをどうぞと家に招かれ、イスラム式のおもてなしを受けた方と。タラス西部はムスリム帽子をかぶった人を多く見た。
豪華なお墓。
西に進んでいた道が北上し、景色は一気に乾燥してくる。カザフスタンという感じがした。そしてダム湖に到着する。キルギス最終日はダム湖周辺でキャンプを張った。
乾燥したダム湖の端。とげがある植物が多くてキャンプ地を探しづらかった。
キャンプ地からダム湖を望む。
タラスから2日目、ダムに到達。そこからすこし一気に下る。最後の村を抜けると、キルギス‐カザフの国境だ。
そんなに大規模な国境じゃないからか、のんびりと事が運ぶ。あまり外国人が通らないだろうから係官がほかの人を呼んだり、外に置いて置いた自転車のチェックというか興味なのか、これは何だそれはなんだと係官と話をする時間が長かった。
とにかく、国境を通過して晴れてカザフスタン再び。
カザフスタンは最近、一年限定でビザ不要で15日間のみ入国が可能になった。それを利用しての入国。
すこし北上し最初の都市タラズで両替をしたり、暑い時間を過ごす。
チャイハナ。生ビールを飲みに来る人が多い。
町の中心。結構大きな都市だった。
モスクに寄ったら子供たちの歓迎を受ける。
草原を走り出す。
道路で寝ていた道路工事の人たちと。カザフスタンは相変わらず陽気なノリ
暑くて疲れてしまい。目の前の丘に滅入って。早めにキャンプを張った。
あまり食欲がなくすこし体調不良を覚える。急に暑くなったからか。。。
3日目、まずは丘を登る300m程度の丘だが食事をあまりとっていないせいか体調が悪くとても時間がかかる。
登り切って少し下ったところで休憩すると妙に疲れて動けなくなってしまい、車を修理していた人に近くの町はどこだと聞くと15㎞くらいだというので、行こうとすると、医者まで載せて行ってくれた。そこで、点滴をもらい、救急車を呼ばれ、さらに10㎞離れた少し大きな町まで運ばれた。
そこで2日ぐらい入院して休んで行きなさいと言われたが、滞在登録で時間がないので断ると、警察がシムケントまで送ってあげると言ってくれたので、一晩だけ、休ませてもらうことになった。
保険があるとはいえ取りあえずの出費がかさむことを覚悟したが、カザフでは医療は無料だというのでホッとした。
下痢気味による脱水症になったのだろうが、下痢は結局医者では治らず。タシケントまで問題を持っていくことになる。
翌日(4日目)、警察は町から15㎞ぐらいのところにあるシムケント州まで送ってくれた。「シムケント市じゃないの!?」詐欺のような感じを受けたが、向こうも親切でやってくれたのでお礼をいい、そこでバスを捕まえる。
自転車が壊れるとか物がなくなるとか、バスを使うのは億劫で、いままで経験がないが、こういう場合臨機応変にに対応できるようになっておくべきだろう。
今回キルギスのトンネル通過のためにトラックに詰め込んだ経験があったので抵抗が少なくなっていた。
バスでシムケントの南まで行き、そこから南にある大きめの町、カジクルト(Qazyqurt)で宿を探す。
商店でホテル聞くとたくさんの人が集まってきた。一人のおじさんがうちのアパートに泊まっていいよ言ってくれたが、そこの管理人に追い出され、町はずれの家に泊まることになった。
そこも宿を探していると聞いたら、2000Tgで家に泊まっていいよと言われたので、もう暗くなってきたし、そうすることにした。
よっぱらい主人のムスタファーさんに絡まれて離してくれず、結構大変なステイだった。
ムスターファさんとその一家。息子のアレハンド君はしっかりしている。
そして5日目、
ムスターファさんの家を出て、ウズベキスタンを目指す。
国境の町ジベック・ジョー 駱駝がシルクロードにいることを思い出させる。
そして国境を超える。通過者が多い国境だったが、カザフ側は効率よくスタンプをもらえた。ウズベキスタン側は難関だと思っていたが、ややこしい税関申告書さえ書いてしまえば、チェックは荷物を外してのX線検査のみで、比較的簡単に済んだ。
ウズベキスタン首都タシケントの賑わうバザールの入り口。この近くの快適な宿、グルナーラに滞在している。
グルナーラのドミトリー
12ドル朝食付き
場所(GoogleMap)
朝食付で快適。