ハノイは寒かった。15度ぐらいだろうか。毎日曇りがちの天気だった。雨が多かったホイアン・フエよりは幾分か明るいが、気温はぐっと下がって寒い。
あまりの寒さに端からベトナム隋一の観光地、ハロン湾に行く気は無くなった。
宿はフエで同室だった日本人の方に聞いたリアルダーリンカフェGHに決めた。一泊3ドルのドミトリー部屋は寒く、南京虫に悩まされた。同室になりそうだったイギリス人のカップルに
ここは止めたほうが良いと話をしたら部屋を変わって行った。女性にとっての南京虫は僕たち以上に深刻だろう。
ハノイはと言うと首都だけあってバイクの数もホーチミンのそれに近かった。人々の顔も中国に近くなり、僕は現地人に間違えられる事もあった。
他の都市に対して物価も驚くほど高い。屋台系の物価だけを見てもフエの2倍以上はする印象だった。バイタクなどの客引きの印象も悪かった。
ビザなし滞在期限もギリギリで、市内の観光地をさらっと回って去ることになった。
ラオスのビエンチャン行きの国際バスを手配し、2泊でこの町を去った。国境に着くのは翌日の朝。一日余裕を見る必要があった。
このバスが非常にに手際が悪く、バスに乗るのにタライ回しにされた挙句、バスは先に乗せた現地人で一杯。外国人は床または狭い席を割り当てられる。高いお金(約30$)を払ってこれでは腹立たしい。
ハノイの印象はかなり悪い。国内移動に使ったシンカフェ(現ザ・シン・ツーリスト。ハノイには同じロゴを使った偽シンカフェがたくさんある為名前を変えたそうだ。)や、ベトナムの他の町が良かっただけに残念だ。
良い思い出は同室だった同い年の男性とビアハオ(ハノイで安く飲める生ビール)を飲むことが出来たことか。
ハノイの町はどこと無くフランスの影響が残っている。
ベトナムコーヒーは出されてから抽出に時間がかかる。寒いところではすぐ冷めてしまい不向きだ。
ホーチミン博物館。彼に対する知識が無かったのであまり理解することはできなかった。
ホーチミンの遺体が収められている廟。あいにく訪れた日は休館で中を見ることはできなかった。
今でも漢字の文化が息づいている。
文廟は昔の学校。
訪れてみてもほとんど寺院にしか見えなかったが、卒業生の名簿のような石碑も見られた。
ハノイの大聖堂。今は使われてはいないようだった。
鉄道の脇ギリギリまで人々の生活がある。
戦争博物館も訪れた。アメリカ軍のや北ベトナム軍の兵器が多数展示されていた。
町一番の市場には多くの人々がいた。
屋台で食べれるチェー(ゼンザイ?)は寒い日には体が温まる(8000D)。
東南アジアでよく見るホビロン(ふ化する直前の卵)はベトナムが本場だそうだ(5000D)
フランスが作った老朽化した橋。
ベトナム名物のフォーも食い収めだ。それにしてもベトナム料理はおいしかった。
ビヤハオは一杯6000Kと安い。これで寒くなければ良かったのだが。